多くの人が興味深い映画、引き込まれる小説、魅力的なマンガを制作することを望んでいます。
しかし、創作活動においてテーマは本当に必要なのでしょうか?
この疑問を抱えるクリエイターは少なくありません。
実際、テーマがなくても成功する作品は存在します。
例えば、本格推理小説はよくその例として挙げられます。
テーマがなくても作品は成立するのでしょうか?
しかしながら、魅力的な物語を創り出すためには、テーマは絶対に不可欠です。
テーマを用いることの重要性
確かにテーマを持たない映画や小説も存在しますが、そのような作品では物語そのものよりも他の要素が際立っています。
例えば、本格推理小説では、謎解きの楽しさに焦点が当てられています。
物語の面白さよりも、複雑な謎とその解答を楽しむことが目的です。
コメディー映画では、物語の展開を楽しむよりも、笑いが主な目的とされます。
ホラー映画は恐怖を、少年ジャンプの漫画は緊張感ある競争を、それぞれメインの内容としています。
バトル漫画やスポーツ漫画は、文字通りの戦いを描いています。
官能小説やAVでは、物語は期待されていないことが多いです。
純文学では、表現の仕方に焦点を置き、物語の展開は二次的なものとされることがあります。
映画、小説、マンガといったジャンルは多様な表現が可能です。
物語の枠を超えて、さまざまな魅力を提供できます。
しかし、物語の面白さを追求する場合、テーマは必要不可欠です。
物語は、そのテーマを通じて楽しませ、感動を呼ぶものです。
テーマのない物語は、ただ主人公が努力するだけの内容になりがちです。
それは、インパクトのないAV、スター選手のいないナイター中継、怖さが欠けたホラー映画、笑いが起こらないコメディー映画、犯人がすぐに分かる推理小説と同じです。
最終的には、どのような要素を使って観客を引きつけるかが重要です。
適切な要素を用いて丁寧に作品を作り上げることが、良い作品を生み出す鍵となります。
テーマを操る者になる
テーマを巧みに使う自覚が重要です。
物語を紡ぐ際には、テーマは避けて通れない要素となります。
例えば、推理小説家は緻密なトリックを巧みに操る者です。
「私はトリックの達人です。複雑な謎を用意し、予想外のどんでん返しで読者を驚かせるのが得意です。」
コメディーやギャグマンガの作者は笑いのプロです。
「私は笑いの達人です。どこでも誰でも笑わせるギャグを仕掛けるのが得意です。」
ホラー作家は、恐怖を操る者です。「私は恐怖のマスターです。気味の悪い設定とモンスターを駆使して、夜中にトイレに行けなくさせます。」
「それで、あなたは何を使って作品を作っているんですか?」
この問いに対しては、テーマを駆使する者として自信を持って答えるべきです。
「私はテーマの達人です。テーマを核にして物語を引き締め、感動を誘います。
そうして全米を泣かせるのです。」
このような自覚は非常に重要です。ただ何となく物語を作っているだけでは、他の作家と差をつけることはできません。
映画や小説にテーマは必ずしも不可欠ではありませんが、何かしらの強みは必要です。
テーマを極めたいと思うなら、その道を極める決意で挑んでください。
観客にテーマを理解させる必要はない
テーマはあなたの創作の武器です。物語を面白くするための重要なアイテムです。
それを用いるのは、作品を高尚に見せるためや、自分を讃えさせるためではありません。
テーマがあれば物語はより引き立ちます。
それを使う理由はそれだけです。
推理作家が読者を驚かせるためにトリックを用いるのと同じ理由です。
観客がテーマを完全に理解する必要はありません。
重要なのはその効果です。効果があればそれで十分です。
例えば「魔女の宅急便」を見ても、多くの視聴者はテーマを正確には認識していませんが、「面白かった」と感じるのです。それが大切です。
「魔女の宅急便」のテーマ
「魔女の宅急便」では、主人公キキが魔女として自立を達成する過程がテーマとして描かれています。
キキは親元を離れ、当初は街の人々からの拒絶に直面します。
魔女として歓迎されることを期待していた彼女にとって、現実は厳しいものでした。
彼女の初期の試練は、子供時代の理想が次々に打ち砕かれる過程を示しています。
クライマックスでは、キキが自分で見つけたブラシを使って飛ぶことに挑戦する場面があります。
これは彼女が自力で魔女としての力を取り戻す象徴的な瞬間です。
親から受け継いだ魔法を失った後、彼女は自立の道を見つけるのです。
もしキキが親から与えられた魔法にのみ依存していたら、物語は単なる努力の記録に留まってしまったでしょう。
表面上は少女の成長物語である「魔女の宅急便」ですが、魔女という特別な設定を通じて、テーマが巧みに表現されています。
しかし、映画を愛する観客でも「この映画のテーマは何か」と問われると、答えるのは難しいものです。
『ロッキー』においても、多くの観客は映画のテーマを正確には理解していませんが、映画から元気や勇気を感じ取ることがあります。
「なぜそう感じたのか」と尋ねられても、多くの人は具体的な答えを持ち合わせていません。
映画の中でエイドリアンはロッキーが最後まで戦うことを支持する役割を果たしていますが、その深いテーマの理解は一般の観客には難しいものです。
それでも、映画は感動を与え、観客を引き込む力を持っています。
音楽がどのような音階で演奏されているかを観客が理解していなくても、音楽の美しさを感じ取ることができるのと同じです。
物語のテーマも、必ずしも観客に理解される必要はありません。
重要なのは、テーマが作品を通じて自然に効果を発揮し、観客に感動を与えることです。
したがって、テーマは必ずしも高尚なものである必要はなく、単に物語を面白くするための一つの手段です。
観客にテーマを完全に理解させることに囚われず、ただ単にストーリーを豊かにし、魅力を増すことに集中すべきです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。