主人公を創造する際には、特技や好物といった多くの要素が考慮されがちですが、それらは後回しにしても構いません。
最も重要なのは、主人公が内に秘めている深い思いです。
前述のページでも触れた通り、これは物語にドラマをもたらす核心的な要素です。
何か大切なものを見逃し、それでも感情を抱き続けること、それが重要です。
この要素がなければ、動機は弱くなり、物語は退屈なものになってしまいます。
内に秘めた思いとは
魅力的なストーリーの主人公は、ほぼ例外なく強く秘めた思いを持っています。
この感情は、他人には明かさない、隠された感情です。誰にも知られずに保持することが肝要です。
例えば、ロッキーは自分の失敗に対する後悔を、他人には決して明かしません。
「聞いてほしい。自分の人生に不満を感じている。何とか変えたい」と口には出さない。誰にも話さず、秘めておくのです。
人は自分の弱点を晒したくないものです。弱点が知られると、逆に利用される恐れがあるからです。
だから、大切なことほど秘密にしておくべきです。
「エイドリアンという女の子が好きだ。付き合いたい」という思いも、口外しない。何故なら、余計な口出しをする人が現れ、計画を台無しにしてしまうかもしれないからです。
重要なことを口にするのは危険です。だからこそ、心に秘めておくのがベストです。物語のキャラクターも、この秘めた思いがなければ成立しません。
矢沢永吉は、この秘めた思いの重要性を示す名言を残しています。
「コンサートは音楽を聴くだけの場所ではない。何かを感じ、それを歌う男に会いに行く場所だ」
矢沢永吉が多くのファンを魅了するのは、彼が何かを感じて歌うからです。
カリスマを持つ人々は、通常、何かしらの感情を胸に秘めています。
感情を持たない人は、他人の心を動かすことはできません。
物語のキャラクターも同様です。感情を持たない主人公の物語には、誰も興味を示さないでしょう。
彼が試合に勝っても、恋に落ちても、それは関心の外です。
主人公には強い感情を持たせましょう。
矢沢永吉に負けない強い思いを。作品に魂を込めるとは、そういうことです。
そしてその思いは、内に秘めておくべきです。
それを表に出すと、その輝きを失ってしまうからです。口に出せるものであれば、それは本物の思いではないのです。
主人公の深い感情:秘めたる想いの影響
物語の背景にある間違いが修正されるストーリーを構築する際、中心となるのは「秘めたる想い」です。
これは主人公の内に秘められた感情とその葛藤を指します。
ロッキーがトレーニング中にトレーナーから無視されたり、エイドリアンに近づこうとする際にも、彼の心は常に秘めたる想いで満たされています。自分の人生を諦めかけているものの、内心ではそれを変えたいと切望しています。この強い感情が彼の行動を突き動かしています。
主人公は物語の始めから終わりまで、一刻も休むことなく、この秘めたる想いに一喜一憂します。
彼の全ての感情はこの秘めたる想いと関連しており、それ以外のことでは喜びも悲しみも感じません。
映画『ロッキー』においても、主人公の感情の動きは、自分のみじめな人生を変えたいという深い願いから生じています。
彼は世界平和や高齢化問題には関心がありませんし、長生きする方法についても考えていません。彼が気にかけているのは、彼が諦めかけている自分の人生だけです。
物語の背景となるこの秘めたる想いは、間違いを正すストーリーを形作る上で中核となります。
秘めたる想いを抱える主人公の闘いが物語を魅力的にする
主人公は絶え間なく心に秘めたる想いを抱えています。
このようなキャラクターが戦うからこそ、物語は意味を持ち、興味深くなります。
もしロッキーが自分のダメな人生をただ諦めるだけの人物だったら、『ロッキー』は退屈な映画になっていたでしょう。
例えば、ハーバード大学卒のエリートで、女性にも人気があり、失敗を知らず、親が大富豪で将来が保証されているような人物が、世界チャンピオンとの試合に向けて練習するだけのストーリーは魅力がありません。
そんな主人公がただ努力しているだけでは、物語に引き込まれることはありません。
彼が何のために練習しているのかさえ分からないため、試合当日に彼を応援する女性たちが集まっても、感動は生まれません。
単なる努力だけでは、その戦いの意義が見えないため、観客は物語に没入できません。
意味あるストーリーでは、主人公が秘めたる想いを持ち、それに基づいて戦いが展開されます。この戦いの構造を物語の背景に設定しましょう。
誰もが人生を完全には理解していないものです。主人公も見えない中で生きており、その秘めたる想いはしばしば誤解されがちです。
しかし、物語が進むにつれて、その想いが徐々に正されることで、人生が描かれ、戦いにも意味が生まれます。
動機が薄い物語の退屈さ
単に表面的なストーリーを描くだけでは、主人公の動機が十分に育まれず、観客が見るのは不透明な戦いです。
主人公には通常、明確な目的が必要ですが、それだけでは物語は魅力を持ちません。
たとえば、サッカー少年がプロになることを目指す話を考えると、その動機が曖昧だと、ただ一生懸命に努力するだけの平凡な話になってしまいます。
観客は「なぜプロになりたいのか理解できない。他にも選択肢があっても良いのではないか」と感じるかもしれません。
主人公にはもっと深い内面の動機を与えることが重要です。
例えば、自分を常に優秀な兄と比較され、劣等感を持つ少年がいるとします。
このような背景があると、物語に厚みが増します。
「兄のようになりたい。いつも兄と比較されることに疲れた。期待ばかりする親に認められたい」という秘めたる想いがあれば、物語はより引き込まれます。
この少年が本当にプロになれるかどうかよりも、彼の内面の成長や家族との和解が物語の中心になります。
『ロッキー』でも、試合の結果よりもロッキーが自己をどう変えるかが重要です。
最終的には内面の闘いに焦点が当てられています。
失恋して再会を望むストーリーも同様です。
単に「もう一度やり直したい」という動機だけでは観客を引き込むには不十分です。
「なぜ彼女と再会したいのか、新しい恋を探せばいいのに」と考えるでしょう。
しかし、深い秘めたる想いがある場合、物語は変わります。
「些細な誤解で別れた。やり直せるはずだ」と信じているだけで、物語に深みが生まれます。これは映画や小説でよく見るパターンです。
期末テストでライバルに勝ちたいというシナリオでも、同じ考え方が適用されます。「小学生の頃は自分のほうが優れていた。しかし時間が経つにつれて彼に追い越された。次のテストで彼を打ち負かさなければ」という思いが、ただのテストの勝負を超えた物語を生み出します。
目的があっても動機が弱いと、観客は物語に没入できず、興味を失います。
「物語の流れは理解できるけど、感情が乗らない。魅力を感じない」という状態になりがちです。
特に主人公を完璧な善人として描くと、物語はさらに退屈になりがちです。
敵に立ち向かうのが道徳的に正しい行動とされる場合、戦いが単なる義務的なものになりがちです。
道徳的動機だけでは物語が空虚になる
「悪を打倒するのは正しいから」と単純に行動する主人公や、「ライバルとの競争が当然だから頑張る」という設定、さらに「子供を愛さないのは非道徳的だから愛する」という動機では、主人公の行動理由が非常に弱くなり、感情移入が難しいキャラクターになってしまいます。
これらはすべて、道徳的に正しいとされる行動をただこなすだけで、主人公自身の深い感情が反映されていないため、観客は物語に深く入り込むことができません。
主人公には、その行動に対する個人的で深い動機を持たせましょう。
秘めたる想いがあるからこそ、彼らは敵に立ち向かい、ライバルに挑み、自分の子供を心から愛するのです。
秘めたる想いはどこから生まれるのか
主人公には目標があり、その背後には必ず深い内面の動機が隠されています。
では、この秘めたる想いは一体どこから来るのでしょうか?
その答えは「裏切り」にあります。
人生で経験した裏切りが、強烈な内面の動機を生み出すのです。
たとえば、ロッキーは過去に多くの失敗と裏切りを経験しています。
これが彼の敗者意識を強め、人生への強い反発として現れています。
フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』では、主人公セシルは父親に対して深い恨みを持っています。子供の頃は親から愛されていると信じていましたが、成長するにつれてその愛が永遠ではないことを知り、裏切られたと感じるようになります。
この裏切りが彼女の心に歪んだ感情を生み出し、物語が進むにつれて父親の再婚などの出来事が彼女の秘めたる想いを爆発させます。
ある女の子の裏ストーリー
テレビドキュメンタリーで紹介されていた、あるロックバンドの女の子も、同様に強い秘めたる想いを持っていました。
10代の頃に援助交際を経験していましたが、それを決して悪だとは考えていませんでした。むしろ、自分を買う大人たちを軽蔑していました。
しかし、年齢を重ねるにつれて、自己疑念を抱き始めます。
「自分も彼らと同じように軽蔑されるべき存在ではないか」と。
この認識が彼女に大きな変化をもたらし、援助交際を辞め、本格的に音楽活動を始めました。
単に有名になりたいや、音楽で生計を立てたいという表面的な動機ではなく、自分を変えたいという強い内面の動機が彼女を推進力としていました。
面白い物語を創造するためには、単なる表面的なストーリーではなく、このような深い内面の動機が必要です。
人生で経験した裏切りによって生まれた秘めたる想いが、物語に深みと意味をもたらします。
ゴスロリスタイルで自己表現を探求する少女
NHKの番組『しゃべり場』で討論する高校生や中学生たちの中に、目を引くゴスロリファッションの女の子が登場しました。
彼女は幼少期から新体操に打ち込み、その才能により親からの大きな期待を一身に受けていました。
しかし、期待に応える成績を維持することが困難になり、新体操をやめる決断をします。
親はこれに強く反対しましたが、彼女自身は「新体操をやめた自分に価値がない」と感じていたそうです。
新体操を辞めた後、彼女は自己表現の方法としてゴスロリファッションを選びました。周囲の目を気にせず自分らしさを表現することが、彼女にとっては新たな挑戦となりました。
ゴスロリスタイルは、過去の自分との決別の手段でもありました。
以前は親や周囲の目を意識して生きていましたが、新体操を辞めたことでその束縛から解放され、自己表現の形としてゴスロリファッションを選択しました。
これは10代の少女にとっての重要な転換期と言えます。
彼女は親や他人の期待を背負い、その重圧に苦しんだ末、自己裏切りを乗り越えて、誰にも依存しない強さを身につけました。
彼女が選んだゴスロリファッションは、他人の意見に左右されず、自己表現のために堅持するものです。
このような経験から生まれる「秘めたる想い」は、人物の動機づけに深みを与え、物語をより魅力的にします。
物語の主人公を作る際には、彼らがどのように自己と向き合い、何に裏切られたのかを探求することが重要です。
この「秘めたる想い」が物語を豊かにし、読者や視聴者に深く響く理由となります。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。